第三話 外出許可
第三話 外出許可
どうしようもなかったことは、ただ一つ。
彼が、決して離婚できないという事実だった。
代々、医師の家系に生まれた彼は家同士の決めた相手と結婚していた。
彼の妻も医師。そして長子の彼は、跡継ぎを作ることが義務づけられていた。
戸籍上の形だけの夫婦関係であっても、どれほど その間が冷え切っていたとしても
家を継ぐ。それは守らなければならない義務だった。
別居関係の奥さんと、月に1,2度程度情報交換のために会う程度だといっていたが
離婚だけは無理だといっていた。
「それ以外のことなら、なんでも」
彼は、そういった。でも、それ以外 いったい何を望めるというのだろう。
私が家も家庭もすべて捨てたとしても、受け入れることはできない。
ならば、外でお妾さんとして生きることしかできない。
それでも構わない。構わなくはないけれど、仕方がない。
でも、結局は耐えられなかった。
私が諦めさえすれば、それで済む。
でも心は殺せない。自分の気持ちは殺せない。
だから死ねば良かった。生きて帰って来たりするから、皆が不幸になる。
電話口で「待っている」と、いってくれた。
それを信じて、それに縋る以外、どうしようもない。
死ねば良かった。
生きて、ここを出たら彼に、また会えるんだろうか。
「また、連絡するから」
電話をしたとき、彼は最後にそういった。
その言葉を信じて、私は毎日待ち続けた。
連絡。唯一の連絡手段は私の携帯へのメール。
携帯の所持は厳禁。ナースセンターに預けてある。
1日2度。午前と午後。20分だけメールチェックのために携帯を返してもらえる。
このとき入院患者のほとんどがセンターホールに集まってナースセンターから
自分の携帯を受け取る。そのときのホールの中は物音ひとつしない。
誰も話さない。皆、無心に真剣に、それぞれの携帯でメールチェックをしている。
そしてナースセンタ-へ携帯を返却した後、明るい表情の患者は一人もいない。
皆、それぞれの方法で、それぞれの苦しさを紛らわそうと必死になる。
メールの何も来なかった者、良くない返信の届いていた者。
毎日毎日、必ずメールチェックをした。
でも、彼からの連絡は一度も来なかった。
「治療の妨げになるから」
医師の彼は、そう思っているのだろうか。
これほどまでに私が彼からの連絡を待ち望んでいるとは思わないのだろうか。
いつもメールについては、まめな人ではなかった。よほどのことがない限り
彼から連絡をくれることはなかった。9.11の時でさえ。
とにかく仕事が忙しい人だから、仕方がないかも知れない。
もう少し待ってみよう。もう少し。
3日、5日、一週間、10日。いくら待っても彼からの連絡はなかった。
入院中、担当医の診察を数回受けた。
今回は職場の診療所とは違い、キチンとすべての事実を話した。
死ぬほど愛している人がいて、その人を思い切れず死のうとして死に切れず
大量に薬を飲んだこと。
「どうして、そんなに たくさんの薬を飲もうと思いましたか?」
「わかりません。薬を飲んでも死ねるとは思っていなくて。何も考えられなくなりたくて」
「あなたらしいですね」
担当医のいう、あなたらしいという言葉。
そう。私らしい。本当に、そう思った。皮肉でも何でもなく、本当に私らしいと。
彼は離婚できない。では、どうしたらいい。
連絡が来ないのは、なぜだろう。
巨大なマグカップのコーヒーを飲みながら、ブランデーで少しだけ楽になったような気がして
外出時間が終わるギリギリに病院へ連れ戻された。
病院へ戻ると夫は「子供達が待っているから」と私を車から降ろし帰って行った。
皮肉なものだと思う。
いつも仕事で家にはいない夫。平日はもちろん、土日祝祭日、常に仕事に出ていて
家庭は、母子家庭のようなものだった。
これが本物の母子家庭であったり単身赴任であったりという環境であれば
私の気持ちも、また違ったのかも知れない。
夫はいないのだから、と心のどこかで開き直れたのかも知れない。
幼い頃から頼れる友人も知人もなく、親類縁者への助力も極力避けてきた。
子供が幼い頃、病気で私が仕事に出ることができなくても
だからどうした、という態度で、自分の身支度だけして、さっさと出勤してしまった夫。
いくら家系を支えられるほどの収入ではなかったとしても、私も仕事上、立場や責任がある。
そうそう子供を理由に欠勤することはできず、しかたなく臨時で自分のお給料よりも高い
家政婦さんやベビーシッターさんを頼んでは急場を凌いできた。
ゴールデンウイークも行楽シーズンも家族で出かけるなどと言うことは皆無に等しく
授業参観、運動会、子供の行事へ出席してくれるなどあり得なかった。
家庭と子供を一人で抱え、やっと少しずつ自分の自由になる時間を持てるようになったときには
もうすでに今の状態だった。
そして私が、こうして精神病院送りになって母親不在の家になって、ようやく夫の口から
「子供達」という言葉が出てきた。
仕事一途で、仕事のためなら他を顧みないような男性が好きだった。でも限度というものもある。
そんな家庭の状態でも、夫が時間を割いて私のために、こうしてわざわざ来てくれているのだから
感謝こそすれ、文句などいうのは筋違いなのだと、良くわかる。
世間一般に、有り体に言えば、私は家族を裏切った酷い人間で、三行半で捨てられても
何も言い返せない立場の人間だった。
こうなる以前から、結婚前から私が精神的に不安定な人間だと夫は知っていた。
それが逆に仇となっていた。友人知人、親兄弟にさえ心を開けない人間不信で、それでいて人一倍
依存心の強い私は、心の底で、心の奥で、ずっと夫を求め続けていた。夫の愛情、何より夫の存在
そのものを。友人として、そして夫に対し自分に対する父性までも求め続けていたのだと思う。
そして、それが叶わず落胆し、一人誰にも理解されない孤独に耐えていたとき、同じ孤独を持つ彼
と出会ってしまった。お互い世襲制の家の長子。背負うものの重過ぎる過去・現在・そして将来。
彼とはじめて個人的に話したときは、そのお互いの共通点に愕然とした。まるで自分を見るような
初めて知る相手の身の上であるはずなのに、すべては自分のことのようだった。あまりにも私達は
似過ぎていた。初めて話しただけで、旧知の仲のように相手の気持ちが手に取るようにわかった。
「あなたは、僕と似ている」
何度、彼の口から、そういわれたことだろう。
あのとき、親の反対を押してまで夫と結婚しなければ、家の決めた相手と大人しく結婚していたら
私は、彼のように、私と同じ臭いのする人と結婚していたのなら、今のような不安に苛まれずに
今まで自分が育てられてきたと同じように子供を持ち、家を守り、家名を守りながら、何の疑問も
感じぬまま生きて居られたのかも知れない。
これは親に、家に逆らったことへのあがないなのかも知れない。
「だから、言わぬことじゃない」
家から、その一言を言われるのがイヤで必死で幸せな家庭を作ってきた。演じていた部分もあった。
でも、所詮 それはすぐに限界の現れることで、その限界が彼だったのかも知れない。
そして、その彼さえも、今 失おうとしている。
失った。失ったのだろうか。私は、もう彼に見捨てられたのだろうか。
それならば、一言 彼の口から別れの言葉を聞きたかった。
直に、彼の言葉で。
それは無理。私は、決して彼を諦めることなどできない。
連絡が来ないのは、それがすべてを語っているのか、それとも他に何か。
入院して、まだ二週間程度。私が結論を急ぎ過ぎているだけなのかも知れない。
この不安、不安定な心は、あなたのただ一言の連絡さえあれば、それで終わるのに。
まだ、時期尚早なのでしょうか。私が落ち着いてから、ゆっくり話そうと、そう思っているのでしょうか。耐えられない。限界です。
ただ一言で良いから、お願いですから連絡をください。
病院の当直室や医局へは、そうそう電話はできない。
私は、この立場が決まるまで、まだ影でいなければならないのだから。
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