渡航準備
週末から子供が短期留学に出るための準備をしている。
準備をしているのは私だ。
自分で懲りて苦労して覚えさせれば良い、放っておこうと気持ちでは思うものの
いつまでたっても荷造りをせず、放置したままの着替えや洗面道具を見るとイライラする。
早く出発して無事に向こうへ到着してくれないかと思う。
あれほどまでに苦労して作った子供たちなのに、教育ということを考えると面倒で億劫で仕方がない。
子供たちに対すると異常な責任感や罪悪感が一気に圧し掛かってきて息苦しくなり
結果として、私は何もできずに心労でまいって寝込んでしまい、夫が出来る範囲での代役をしてくれるという情けないことになる。
ずっと昔、まだ子供たちがおむつが取れるか取れないかの頃、子供の友達、同い年の近所の子を数時間預かったことがあった。
その子の父親は地方の国立大の出身。血筋なのか、預かったその子は とても頭の良い子だった。
その子は兄弟揃って私大の難関校に現役で合格している。
預かった時に、私の子供の知育玩具で遊ばせてあげたことがあった。うちの子には出来ない、その知育玩具をいともたやすく完成させている姿を見て、どれほど頑張って子供を作っても、どれほど頑張ってお金や手をかけても、私の子供には私以上の知能は望めないのだと思い知らされた。
自分の子供には自分の子供にしかない良さがあり長所があることはわかっていても、そこから何を感じるかというと子供の知能のレベルではなく、その親である自分自身の知能の低さに対する劣等感やコンプレックスだった。
「やっぱり自分は劣った人間なのだ」と自分が悲しく惨めになる。
そうしたことを繰り返すうちに、子供たちの欠点はすべて自分のせいだと、自分が原因だと感じるようになり、自分の惨めな姿を子供たちの中に見る思いがして、子供たちに対するのが恐ろしく苦痛になった。
条件なしで子供を愛せないということではなく、子供に向かうことで自分を無価値な人間だと思い知らされることに恐怖とトラウマがまとわりついた。
親から自分への無価値感をすり込まれ、自分の子供から、それを更に反復して感じさせられる。
目を向ける方向を変えれば済む話だけれど、血のつながった肉親という絆が非常に重くのしかかる。
そうしている間に、実家の母からメールが届く。
留学に出発する日に空港まで見送りに来たいという。
以前も、上の子の留学の際に、空港まで見送りについて来た母のお守りと接待で肝心の子供の見送りは疎かになってしまったことがある。
それをまったく学習していない母から、また同じことのメールが届いた。
今回は、メールで断った。
これ以上、近付いて欲しくない。かき回して欲しくない。
離れたところで静かに生活をさせて欲しい。
見送りについて来れば、また「お腹が空いた」だの「お茶が飲みたい」だの「買い物をしたい」だの、自分の都合で引っ掻き回してくるだろうことは目に見えている。
そして、自分の孫が留学に出発するという晴れの場に居たいという母の見栄を満足させるために、こちらは生きているワケではない。
私の子供まで、私の家族まで、母の虚栄心の対象にされるのは迷惑以外の何物でもない。
もう、近付かないで欲しい。
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