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9.11


私用と公用、半々で彼がNYへ発ったのは
私の誕生日まで あと10日ほどという日だった。
「お土産は何がいい」と聞かれて
「あなた」と答えて見送った。
お土産も誕生日のプレゼントも何もいらない。
欲しいのは、あなた。そのあなただけ、手に入らない。
他のものなら、何でも願いが叶うのに。

あの日、あのとき。彼は、そこにいた。
でも彼の無事を確かめる手段は何もなかった。
私の存在は、彼にとっては幽霊のようなもので
彼に何かあっても彼本人以外、私にそれを教えてくれる人は
この世には誰一人としていない。そのとき彼と私とのことは
まだ秘密で他の誰も知らなかった。
メールを送っても返事は来ない。
携帯に電話をしてもつながらない。
ただ、毎日繰り返されるツインタワーから煙が立ち上り
やがて崩壊していくTV映像と それに被って報道される現地日本人被害者のリスト。
被害者の追加と訂正の繰り返し。 彼から何も連絡は来ない。
ただ、彼からの連絡を待つしかなかった。

自分が彼にとって認められていない存在の人間なのだと痛感させられて、今更のように絶望した。
ただの一人でも共通の知人がいたら、頼れたかも知れない。
安否を確認して欲しいと頼めたのかも知れない。
同じ職場だった。同じ病院で働いていた。
彼とのことを真剣に考えるようになってから私は、その病院を辞めた。
同じ場所で働いていることに私が耐えられなかったから。
これほど愛していて、これほど求めている相手が 毎日、常に目の前にいる。
私には、それが耐えられなかった。他には何もいりません。あなたをください。

彼の社会的な仕事上の立場があったから、私は常に彼の影にいた。
表面に出ることはなく日かげ者。
会うのは、いつも同じカフェで、いつも同じ珈琲を飲みながら
飽きることのない彼の仕事の理想の話を聞いていた。
仕事のために生きているような人が好きで、仕事のためなら
他のすべてを犠牲にするような人が好きで 彼は、まさにそうした人で。
私は彼が仕事の話をするのを、ただ黙って相づちをうつ時間が とても好きだった。
気持ちを紛らわせるために何か、と私はシュガークラフトでバラの花を作り始めた。
お砂糖でできたバラの花。
いくつもいくつも作り続けた。ツインタワーに飛行機が突っ込んでからビルが崩壊するまでの映像を
エンドレスで 流し続ける報道番組をつけたままにして、何十輪ものバラの花を作り続けた。

そして事件から4日目。彼からメールが届いた。無事でいる。すぐに連絡できず悪かった、と。
私は人目もはばからず泣き崩れ、そのとき、触れたら すぐに割れてしまう砂糖細工のバラを作るのをやめた。
それからも、しばらく現地では混乱状態が続き、彼からの連絡は必要最低限。
アメリカから出国することも難しい状況が しばらく続き、
彼が帰国したのは事件から半月後くらい後だった。

無事だという連絡と、帰国の目処がたちそうだ。明日帰国する。
彼の在米中、私に届いたメールは その3件だけ。
成田へ出迎えに行くことはできなかった。彼の奥さんがいたから。
「会える日が決まったら連絡する。それまで待って欲しい」
そういわれて、私は待った。永遠に、お預けをくっている忠犬のように。
彼から「よし」と合図されるまで。
信じることと、待つこと。
それ以外、私が彼に対して示すことのできる、具体的な愛情表現はなかった。待って待ち続けて。

やっと会えると決まった日、私は作り続けたシュガークラフトのバラで
小さなアレンジのバスケットを作った。
彼に渡すために。心配で心配で、不安で不安でしかたがなかった。あなたを待つ間
あなたからの連絡を待つ間 私は、ずっと このバラの花を作り続けていました。
そんなことは言わない。
「無事に帰国できたお祝い」そういって渡しただけ。
そこに込めた私の思いや4日間の真っ暗な中で待ち続けた不安。
幽霊のような自分の存在の無力さ、愚かさ、悲しさ、情けなさ。
そんなことは、ひとことも口に出さなかった。
そんなことは、いわなくても十分過ぎるほど理解しあえている。そういう人だと思っていたから。

ニュースで、あれから7年目だと知り、もうあれから7年も経ってしまったことに驚いた。
7年目。 そう、私は7年間 苦しんできた。
他人事のように思い出せる、この瞬間。あらためて、やっと終わったことを感じられた。





最後まで ご覧いただきまして ありがとうございました。
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